今年の7月は毎日どんよりとした天候が続き、近年では珍しい長い長い梅雨の季節でした。そして8月になったとたん、太陽がジリジリと照り付ける夏が一気にやってきました。
暑い暑いと思っていたら、あっという間にお盆も終わり、すでに8月も中旬。
水田の稲もところどころ黄色く色づきはじめています。広々とひろがる水田の景色はまさに頸城の象徴的な風景です。
この美しい水田は、かつては稲作もできない大瀁郷といわれる大きな潟湖や低湿地が広がっていたといいます。そんな土地を切り拓いた先人達の苦労と功績を学んだのが、平成30年度に当財団で実施した「ふるさと講座~新田開発により築かれた頸城のすがた~」です。
講座では、保倉川の水源地や全長20㎞の用水路を巡り、保倉川から大瀁用水への取水口である顕聖寺頭首工や農業用水を標高の高い大池に圧送する大池揚水機場、河口にたまった海砂を押し流し排水機能を確保するための新堀川排砂場や農地や集落からの排水を川へ導くための潟川排水機場を見学し、水を管理する土地改良区では水管理制御施設について説明を受けました。
参加者の皆さんは、先人達の情熱と技術に関心したり、はじめて聞く新田開発の歴史に驚いていました。
大瀁郷新田開発は、江戸時代に3期40年に渡りおこなわれ、大瀁用水の開削と大潟の悪水干拓に成功し、100もの村が誕生したそうです。
私が育った集落も、この新田開発によりできた土地で、平成17年の市町村合併を機に住所表示が変更されるまでは「○○新田」という地名でした。
また、子どもの頃に通った大瀁小学校の体育館には「開拓精神」と書かれた額が飾ってあったことが強く心に残っています。
大瀁郷新田開発の歴史について詳しくはこちらをご覧ください。https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/nochikanri/1356864607038.html
(新潟県ホームページ 農業水利施設の歴史探訪シリーズvol.8
「大瀁用水路と大池・小池~大瀁郷に新田を拓いた用水施設~」)